鎌倉殿の13人

【鎌倉殿】善児は実在する?モデルは金窪行親で最期はどうなる?

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現在放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。

三谷幸喜さんが脚本だからか、時代劇っぽくなく面白い!と評判ですが、劇中出てくる「善児」という暗殺者が怖すぎと話題なんです。

ほぼセリフはありませんが、主人の命令に淡々と従い次々に暗殺を繰り返す姿が、存在感があり過ぎて画面に出てくるとゾっとします。

実在した人物なのか?モデルになったアサシンは誰なのか?気になりますよね?

そこで今回は、善児は実在したのか?調査していきたいと思います。

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【鎌倉殿の13人】善児は実在した?

https://twitter.com/toohbon/status/1505905388151250952

「鎌倉殿の13人」で善児を演じているのは、カメレオン俳優として評価が高い梶原善さんです。

主家から仕事(暗殺)が与えられると、表情一つ変える事なく「へぇ」と一言だけ言うと、コンビニでも行ってきたようにあっさりとこなしてしまいます。

現在12話まで放送されましたが、既に6人の人物が暗殺されています。

【善児暗殺録】
・千鶴丸
・工藤茂光
・北条宗時
・江間次郎
・伊東祐親
・伊藤祐清

第1話で頼朝の子供である千鶴丸を殺した時も(描写はなし)、顔色を変えることはなかったですよね。

かなりゾッとしたシーンでした。

鎌倉殿の13人を毎回見ている人の中には、善児が出てくると「誰かが殺されてしまう!」と条件反射が出来上がってしまっている人も多いんじゃないでしょうか?

それぐらい梶原善さんが演じる善児には、圧倒的な存在感があります。

さて気になるのが、善児という人物は実在したのか?ですが、三谷幸喜さんが生み出したオリジナルキャラクターのようです。

ただモデルとなっている暗殺者は当時もいたようなので、次で紹介します。

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【鎌倉殿の13人】善児のモデルは金窪行親?

善児に関するSNSの意見を見てみると、金窪行親がモデルなのでは?という意見がかなり多いです。

金窪行親とはどんな人物なんでしょうか?

建仁3(1203)年9月2日、政子と2代将軍頼家の妻の家である比企氏との間で争いが起こります。

いわゆる「比企能員(ひき よしかず)の変」です。

北条側は義時が大将となって比企氏を攻め滅ぼすんですが、ここでとんでもない活躍をしたのが、当時のアサシンとも言われた金窪行親です。

天台宗僧侶の慈円が書いた鎌倉時代の史論書「愚管抄(ぐかんしょう)」には頼家が亡くなった後、その家来たちが反乱を起こそうと鎌倉に潜伏しているという情報をつかんだ義時が、金窪行親を派遣し13人の家来たちをあっという間に暗殺したとあります。

まさに善児のようですね。

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【鎌倉殿の13人】善児の最期は?

もし善児のモデルが金窪行親だったとしたなら、善児は最後かなりの地位まで登り詰めると予想します。

というのも「比企能員の変」の10年後、金窪行親は大きな事件で大きな功績を残します。

それが「和田義盛の乱」です。

金窪行親は、建暦3年(1213年)の泉親衡の乱で安念法師を捕縛して尋問し関与した約200名が一斉に逮捕されます。

そのうちの最重要人物だった和田胤長(わだ-たねなが)を安東忠家と共に捕縛し尋問しました。

その和田胤長(和田義盛の甥)の没収された所領を、金窪行親と安東忠家が分割相続したのがキッカケで和田義盛の乱に発展します。

1213年5月和田合戦の翌日には、金窪行親らが和田義盛らの首を検分しています。

北条義時からの信頼を得た金窪行親。

和田義盛の後任として北条義時が侍所別当に就任すると、金窪行親は次官である所司(しょし)になりました。

侍所(さむらいどころ)は警察と軍事の機関で、そのトップが北条義時となり、ナンバー2が金窪行親と言う事になります。

そして和田合戦の記録を整理したほか、恩賞として和田氏の所領だった陸奥国金窪も拝領したようです。

劇中でも今はただの下人の善児が要所につくようなことがあったら、ドラマも盛り上がりそうですよね!

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まとめ

今回は現在放送中のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」について、不気味な殺し屋善児についてまとめてきました。

善児という人物は実在はしませんが、鎌倉時代の武士金窪行親がモデルなんじゃないかと思っています。

善児と同じぐらい怖い仕事人だったようですね。

これからは金窪行親をイメージしながらドラマを見ると、楽しいかもしれないですね。

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